東京地方裁判所 昭和59年(ワ)2522号 判決 1988年10月25日
原告 山本美恵子
右訴訟代理人弁護士 前田知克
小川原優之
阿部裕行
日本ライト社こと 被告 平田保次郎
<ほか四名>
右被告五名訴訟代理人弁護士 山田茂
鈴木博
主文
一 被告平田保次郎は原告に対し別紙物件目録記載の建物のうち別紙図面A及びEの部分の明渡し並びに昭和五八年一月一五日から右明渡し済みまで一か月金二万八三二〇円の割合による金員の支払をせよ。
二 被告株式会社久永は原告に対し別紙物件目録記載の建物のうち別紙図面B及びEの部分の明渡し並びに昭和五八年一月一五日から右明渡し済みまで一か月金一万五一五〇円の割合による金員の支払をせよ。
三 被告財団法人新日本学院及び被告株式会社保険銀行日報社は各自原告に対し別紙物件目録記載の建物のうち別紙図面C、D及びEの部分の明渡し並びに昭和四一年二月二〇日から右明渡し済みまで一か月金四万五六一〇円の割合による金員の支払をせよ。
四 被告江口産業株式会社は原告に対し別紙物件目録記載の建物のうち別紙図面D及びEの部分の明渡し並びに昭和四一年二月二〇日から右明渡し済みまで一か月金二万円の割合による金員の支払をせよ。
五 原告の被告平田保次郎及び被告株式会社久永に対するその余の請求を棄却する。
六 訴訟費用は被告らの負担とする。
七 この判決は第一ないし第四項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
(請求の趣旨)
一 被告平田保次郎は原告に対し別紙物件目録記載の建物のうち別紙図面A及びEの部分の明渡し並びに昭和四三年一二月一日から右明渡し済みまで一か月金二万八三二〇円の割合による金員の支払をせよ。
二 被告株式会社久永は原告に対し別紙物件目録記載の建物のうち別紙図面B及びEの部分の明渡し並びに昭和四三年一二月一日から右明渡し済みまで一か月金一万五一五〇円の割合による金員の支払をせよ。
三 被告財団法人新日本学院及び被告株式会社保険銀行日報社は各自原告に対し別紙物件目録記載の建物のうち別紙図面C、D及びEの部分の明渡し並びに昭和四一年二月二〇日から右明渡し済みまで一か月金四万五六一〇円の割合による金員の支払をせよ。
四 被告江口産業株式会社は原告に対し別紙物件目録記載の建物のうち別紙図面D及びEの部分の明渡し並びに昭和四一年二月二〇日から右明渡し済みまで一か月金二万円の割合による金員の支払をせよ。
五 訴訟費用は被告らの負担とする。
六 一ないし四につき仮執行の宣言
(請求の趣旨に対する答弁)
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
(請求原因)
一 別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)はもと原告の義父山本栄次郎(以下「栄次郎」という。)の所有であったが、昭和四〇年一月九日同人は死亡し、原告が相続により本件建物の所有権を取得するとともに、後記各本件建物部分の賃貸借契約の賃貸人としての地位を承継した。
二 被告平田保次郎関係
1 栄次郎は昭和二八年一月一日訴外厚用商事株式会社に対し本件建物中別紙図面A部分(以下「A部分」という。)を賃貸して引渡した。
2 右賃借権は、その後厚用商事株式会社から訴外三和映画株式会社に、次いで杉山電機株式会社に、更に昭和三一年九月五日被告平田保次郎(以下「被告平田」という。)に譲渡された。
3 原告は被告平田に対し昭和四三年五月一一日到達の書面をもって同年一一月三〇日限り賃貸借契約を解約する旨の意思表示をした。
4 右解約申入れについては、次のとおり正当事由がある。
(一) 本件建物取壊の必要性
(1) 本件建物は大正一二年に建築された木造家屋であり、右解約申入れ当時には既に耐用年数を越えて著しく老朽化し朽廃の状態にあった。
(2) 本件建物は銀座の昭和通りに面する場所に位置しているが、右のような状態で、街の美観を損ね、周辺との調和を著しく欠いていた。
(二) 被告平田の信頼関係破壊行為
(1) 昭和四〇年一二月、原告が本件建物を修繕しようとしたところ、被告平田はこれを実力で妨げ、更には仮処分決定(東京地方裁判所昭和四一年(ヨ)第一一一号)をもって阻止した。しかも、同被告は本件の他の被告らと共同して本件建物の入口に板を打ち付けたり勝手に鍵付きの戸を設置するなどして、原告が本件建物を管理点検することを不可能ならしめた。
(2) 被告平田は、昭和三一年A部分を借受けるに際しては日本ライト社(法人格を有する法人ではない。)を名乗っていたが、賃貸期間中である昭和三九年三月一七日日本ライト映画株式会社を設立し、栄次郎に無断で本件建物に本店を置き営業した。
5 仮に右解約申入れが効力を生じないとしても、原告は被告平田に対し昭和五七年七月一四日到達の書面をもって解約の申入れをした。
6 右解約申入れについては、4に述べた事由に加え、次のとおり正当事由がある。
(一) 本件建物の取壊、新築の必要性
本件建物の老朽化は一層進み、土台の一部は腐って失われ、外壁は剥がれ落ち、雨漏りはひどく、朽廃の状態にある。したがって、本件建物を放置すると、いつ倒壊し或いは一部が崩れ落ち通行中の人や施設に危害を与えるかもしれない状態にある。しかるにこの建物を修復するとすれば新築する以上の費用を要するので、取壊して新築することが社会経済上も望ましい。
一方、本件建物の敷地は原告の所有であるが、これに課される固定資産税の額は急上昇を続けており、本件建物では到底これに見合う賃料収入は得られない。
(二) 被告平田の信頼関係破壊行為
(1) 昭和五七年七月、原告が本件建物に隣接した更地に立体駐車場の建設を始めたところ、被告平田と被告株式会社保険銀行日報社とは建築工事禁止を求めて仮処分の申立をした。これは、右建築工事によっては同被告らに迷惑がかからないことが明白であるにもかかわらず申立てられたもので、結果的には取下げられたものの、原告との信頼関係を著しく傷付けた。
(2) 被告平田は、昭和四三年一一月から賃料を供託し始めたが、その後供託をも怠るようになり、時たま供託するのみである。しかも供託するに際して賃貸人の住所を不明としているため、原告のもとには供託の通知すら届かない状態にある。これは賃料不払の事実に相当する行為である。
7 被告平田は現在本件建物中別紙図面E部分をも占有している。
8 昭和四三年当時におけるA部分の賃料は月額二万八三二〇円であった。
三 被告株式会社久永関係
1 栄次郎は昭和二五年九月一六日久永度量衡株式会社に対し本件建物中別紙図面B部分(以下「B部分」という。)を賃貸して引渡した。
2 右会社は昭和四七年一月三〇日商号を株式会社久永と変更した。
3 原告は被告株式会社久永(以下「被告久永」という。)に対し昭和四三年五月一一日到達の書面をもって賃貸借契約の解約の申入れをした。
4 右解約申入れについては次のとおり正当事由がある。
(一) 前記二4(一)(1)、(2)及び(二)(1)のとおり。
(二) 被告久永は昭和四二年一一月までに右建物部分の使用を廃止した。
5 仮に右解約申入れの効力が認められないとしても、原告は被告久永に対し昭和五七年七月一四日到達の書面をもって解約の申入れをした。
6 右解約申入れについては次のとおり正当事由がある。
(一) 前記二6(一)のとおり。
(二) 被告久永の信頼関係破壊行為
被告久永は被告平田と同様賃料の供託を著しく怠った。
7 被告久永は現在E部分をも占有している。
8 昭和四三年五月当時におけるB部分の賃料は月額一万五一五〇円であった。
四 被告財団法人新日本学院関係
1 栄次郎は昭和二九年六月二三日被告財団法人新日本学院(以下「被告新日本学院」という。)に対し本件建物中別紙図面C、E部分(以下「C、E部分」という。)を賃貸して引渡した。
右賃貸借契約には、賃借人が賃借権を無断譲渡転貸した場合には賃貸人は催告なくして賃貸借契約を解除することができる旨の特約が存する。
2 被告新日本学院は、昭和三六年五月訴外社会福祉法人新日本学園に対し、次いで昭和三七年三月被告株式会社保険銀行日報社(以下「被告保険銀行日報社」という。)に対し、C、E部分を原告に無断で転貸し又は賃借権を譲渡した。
3 そこで、原告は被告新日本学院に対し昭和四一年二月一九日到達の書面をもって賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。
4 被告新日本学院は昭和四二年一二月以降賃料の支払を怠っている。
5 そこで、原告は被告新日本学院に対し昭和五九年三月一六日送達された本件訴状をもって、前記賃借権の無断譲渡転貸及び右賃料不払を理由として賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。
6 仮に以上の契約解除が認められないとしても、原告は被告新日本学院に対し右訴状の送達をもって賃貸借契約の解約の申入れをした。
7 右解約申入れについては次のとおり正当事由がある。
(一) 前記二6(一)のとおり。
(二) 被告新日本学院は現在いわゆる休眠状態であり、本件建物で業務を行っておらず、職員もいない。また、被告保険銀行日報社は、社員が戻って来るのに便利な程度で、それ以上に本件建物を使用する必要がないことは代表者自身が認めているところである。
8 被告新日本学院及び被告保険銀行日報社はD部分をも占有している。
9 昭和四一年二月当時におけるC、E部分の賃料は月額四万五六一〇円であった。
五 江口産業株式会社関係
1 栄次郎は昭和二五年六月七日訴外日本冷菓機械株式会社に対し本件建物中別紙図面D、E部分(以下「D、E部分」という。)を賃貸して引渡した。
右賃貸借契約には、賃借人が賃借権を無断譲渡転貸した場合には賃貸人は催告なくして賃貸借契約を解除することができる旨の特約が存する。
2 右訴外会社は昭和三五年ころ被告江口産業株式会社(以下「被告江口産業」という。)に対しD、E部分の賃借権を譲渡した。
3 被告江口産業は昭和四〇年八月九日解散し、代表取締役江口四郎がD、E部分において個人で金融業を営むようになった。そして、同人は原告に対し個人として賃借権を有すると主張し、前記二4(二)(1)の仮処分の申立をした。
4 そこで、原告は被告江口産業に対し昭和四一年二月一九日到達の書面をもって、賃借権の無断譲渡転貸、信頼関係の破壊を理由として賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。
5 仮に右解除の効力が認められないとしても、原告は被告江口産業に対し昭和五七年七月一四日到達の書面をもって賃貸借契約の解約の申入れをした。
6 右解約申入れについては次のとおり正当事由がある。
(一) 前記二6(一)のとおり。
(二) 被告江口産業は本件建物を使用していない。
7 昭和四一年二月当時におけるD、E部分の賃料は月額二万円であった。
六 よって、原告は
1 被告平田に対し、A、E部分の明渡し及び契約終了の翌日である昭和四三年一二月一日から明渡し済みまで一か月二万八三二〇円の割合による遅延損害金の支払
2 被告久永に対し、B、E部分の明渡し及び契約終了の翌日である昭和四三年一二月一日から明渡し済みまで一か月一万五一五〇円の割合による遅延損害金の支払
3 被告新日本学院及び被告保険銀行日報社に対し、C、D、E部分の明渡し及び契約終了の翌日である昭和四一年二月二〇日から明渡し済みまで一か月四万五六一〇円の割合による遅延損害金の支払
4 被告江口産業に対し、D、E部分の明渡し及び契約終了の翌日である昭和四一年二月二〇日から明渡し済みまで一か月二万円の割合による遅延損害金の支払
をそれぞれ求める。
(請求原因に対する答弁)
一 請求原因一は認める。
二 同二について
1ないし3は認める。
4は争う。ただし、被告平田が原告主張の仮処分の申立をし、仮処分決定がされたことは認める。
5は認める。
6は争う。ただし、被告平田が原告主張の仮処分の申立をしたこと及び賃料を供託していることは認める。
7、8は認める。
三 同三について
1ないし3は認める。
4は争う。
5は認める。
6は争う。
7、8は認める。
四 同四について
1は認める。
2は否認する。社会福祉法人新日本学園は被告新日本学院と実体が同一であり、また被告保険銀行日報社は被告新日本学院と代表者が親子の関係にあり、転貸の形式にはなっているが、実態は共同賃借である。
3は認める。
4は否認する。
7は争う。
9は認める。
五 同五について
1のうち賃貸借契約の事実は認めるが、原告主張の特約については不知。
2、3は認める。
4のうち無断譲渡転貸、信頼関係破壊の点は争い、その余は認める。
5は認める。
6は争う。
7は認める。
六 仮に本件建物の老朽化が著しく、解約の正当事由が認められないでもないという程度に達しているとしても、被告らの有する借家権の財産的価値を考慮すると、相当額の金銭的代償を支払うことによって初めて正当事由が補完されるというべきである。
(被告平田の抗弁)
原告は被告平田に対し昭和四三年に解約申入れをしたが、その後本訴提起まで一六年間も訴訟を提起しないで放置してきた。このような解約申入れは真摯なものとはいい難く、解約の効果を発生させるための真実の意思表示とは認め難いものであるから、解約申入れはなかったことに帰すると解すべきである。
(被告新日本学院及び被告保険銀行日報社の抗弁)
一 仮に被告新日本学院から社会福祉法人新日本学園及び被告保険銀行日報社に本件賃借部分の転貸があったとしても、賃貸人である栄次郎の承諾を得た。
二 仮に栄次郎による明示の承諾がなかったとしても、同人又は原告による黙示の承諾があった。すなわち、
1 栄次郎は、本件建物の隣に居住し、被告らとは毎日のように顔を合わせ親密な交際をしていたから、賃借人の動向は詳細に諒知していたものであり、無断転貸ないし譲渡であれば黙って見逃すはずはない。
2 原告の主張によれば、無断転貸は昭和三七年までにされたというのであるが、栄次郎及び原告はそれを知りながら昭和四一年二月一九日被告新日本学院に対し契約解除の意思表示をするまでこれを黙認していた。そして原告はその後も昭和五九年の本訴提起まで一八年間にわたり、訴訟を提起することなく放置してきた。このことは栄次郎及び原告において黙示の承諾を与えたことにほかならない。
3 なお、被告保険銀行日報社による占有は、被告新日本学院の代表者島田金蔵の先代島田幹一が昭和二二年ころから本件建物中別紙図面C部分において営業していたものの継続である。
(抗弁に対する答弁)
一 被告平田の抗弁は争う。
二 被告新日本学院及び保険銀行日報社の抗弁一は否認し、同二は争う。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因一は当事者間に争いがない。
二 被告平田関係
1 請求原因二1、2は当事者間に争いがない。
2 原告が被告平田に対し昭和四三年五月一一日到達の書面をもって本件建物の賃貸借契約の解約申入をしたことは、当事者間に争いがない。
3 そこで、右解約申入の正当事由について判断する。
(一) 本件建物が右解約申入当時取壊を必要とするほどに朽廃の状態にあったとの原告主張事実については、原告本人尋問の結果中にはこれに符合する部分があるが、にわかに採用し難く、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。
(二) 被告平田が原告主張の仮処分の申立をしたことは当事者間に争いがない。しかし、《証拠省略》によると、昭和四〇年一二月本件建物に人夫が十数人やって来て、被告ら賃借人に断ることなく、便所及び流しを取り壊そうとしたこと、被告平田がこれを制止したが、右人夫らは聞き入れず、便所及び流しに通ずる出入口をトタン板で塞ぎ、便器を取り外したこと、被告らはやむを得ず、本件建物の二階部分に便所を造るようにしたが、そのために被告平田の賃借部分の一部を取壊して通路にしなければならなかったこと、そこで、被告平田らは被告ら代理人弁護士山田茂に依頼して同年一二月三一日付で何人も許可なく立ち入ってはならない旨の警告書を本件建物に掲示し、被告久永(当時の商号・久永度量衡株式会社)、訴外江口四郎、訴外社会福祉法人新日本学園とともに、原告を債務者として、本件建物中便所及び流しの部分約四坪につき、出入口の閉塞、取壊し、立入り等、債権者らの占有使用を妨害するような一切の行為をすることの禁止を求めて仮処分の申請をし、昭和四一年一月一二日これが認容されて同旨の仮処分命令が発せられたことが認められる。
右事実に照らすと、被告平田が仮処分の申請に及んだことについては必要性を肯認することができ、賃貸人である原告との間の信頼関係を破壊するような性質の行為ではないことが明らかである。そして同被告が原告の側の右のような行為に対し対抗的、防御的な措置に出たとしてもこれを非難することはできない。また同被告が対抗的、防御的な行為の範囲を超えて原告に対し実力を行使したような事実を認めるに足りる証拠はない。
(三) 《証拠省略》によると、昭和三九年三月一七日被告平田を代表取締役、本件建物の所在地を本店として日本ライト映画株式会社が設立されたことが認められる。しかし、《証拠省略》によると、右会社は設立登記をしたものの、殆ど営業活動をしないままに終わり、本件建物を独立に占有した事実はないことが認められる。
(四) 右の事実関係に照らすと、前記解約申入について正当事由があると認めるのは困難である。したがって、被告平田の抗弁について判断するまでもなく、この点についての原告の主張は理由がない。
4 原告が被告平田に対し昭和五七年七月一四日到達の書面をもって解約申入をしたことは当事者間に争いがない。
5 そこで右解約申入の正当事由について判断する。
(一) 《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 本件建物は、東京都中央区銀座一丁目に所在し、通称昭和通りに面している。構造は木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建であり、建築時期はおおよそ大正一二、三年ころであると推測される。
(2) 本件建物の基礎は割栗地形の上に大谷石を据えたものであり、側面は布コンクリート打ちとなっている。外部は、銅板一部鉄板張り、内部は真壁塗りであるが、土台、柱、鴨居、梁はすべて桧、杉、松等の材木を使用してある。床は一階がコンクリートたたき、二階が板張りである。
(3) 基礎は各所において沈下しており、東側面に一九ミリメートル、北側面に二三ミリメートル、西側面に三九ミリメートル程度の沈下が見られる。南側面(隣接駐車場側)においては特に著しく、土台の桧材が完全に腐食し切っており、そのため柱が一一〇ミリメートル以上陥没し、家屋全体の傾斜の原因となっている。この部分における土台の腐食は昭和五七年一一月当時において既に見られたところである。東側面の大谷石の基礎には大きな亀裂が入っている。
窓やシャッターは開閉が困難であり、雨戸等木材の部分は相当に老朽化、陳腐化していてその機能を有していない。
床には傾斜が見られ、一階の被告保険銀行日報社占有部分において、基礎の沈下状況と符合し前記柱の陥没方向に一致して隣接駐車場側に向けて七パーセント程度の傾斜(部屋の端から端までで最大一一八ミリメートルの相対差)が見られ、被告平田占有部分において、北角と南角とでは三六ミリメートルの相対差があり、南側に向けての顕著な傾斜が認められる。そのほか床面に大きな亀裂が見られる部分がある。
二階における床の傾斜の状況は更に顕著である。
壁面では亀裂やしっくいの剥離現象、天井では雨漏りによるしみ、しっくいの剥離現象が多く見られる。
屋根のトタン葺は度々補修されて変色している。
本件建物全体の傾斜は、隣接駐車場側において地面からの高さ九・四メートルの位置で三〇ミリメートルの傾斜が認められる。
本件建物の外壁の銅板及び鉄板は、変色し或いは錆が生じて外観を著しく損じている。
(4) 昭和三〇年代に本件建物付近で地下鉄工事が行われ、右工事を原因とする地盤沈下により本件建物は天井、床、柱が外れるなどの被害を被ったため、昭和四〇年八月二八日東京都交通局から原告に対し被害復旧費として一一〇万円が支払われた。
(5) 大蔵省令第一六号(昭和五四年三月三一日)に照らした本件建物の耐用年数は二四年である。
以上のように認められる。
(二) 右事実に鑑定の結果を合わせ考えると、本件建物は、大正一二、三年ころに建築された木造建物であることからして著しい老朽化の程度にあることがたやすく推測されるところ、実際にも建物の各所にわたって朽廃化の状態が顕著であり、構造的にも物理的にも安全であるとはいえない状態にあり、また東京都内でも有数の商業地域である銀座に位置し幹線道路である昭和通りに直面していながら、その全体の印象は一見廃屋といっても過言でない外観を呈しており、地域ないし町並みに相応した効用を全うするのが困難であるといってよく、全体として朽廃していると認めるのが相当である。
原告の主張に照らし、また《証拠省略》によると、原告は昭和四一年に被告新日本学院及び被告江口産業に対して契約解除の意思表示をし、次いで昭和四三年に被告平田及び被告久永に対し解約申入をし、以後終始被告らに対し本件建物の明渡しを求めてきたこと、そのため原告は本件建物の維持管理について熱意がなく、家主として通常なすべき程度の補修さえしないで放置してきたこと、そのため被告らにおいて最小限必要な補修をしてきたことがうかがえる。さきにみた本件建物の朽廃化の状態は、右のような原告の側における維持管理の懈怠に原因するところがないとはいい切れない。しかし、前認定の事実関係によると、本件建物は昭和四一年ないし四三年ころにおいては早晩朽廃化を免れない状態にあったとみることができ、仮に原告において家主としてすべき通常の維持管理の努力を怠らなかったとしても、建物の基本的な構造部分を将来長期間にわたって維持するに足るような工事を施すのは不可能に近く、仮に可能だとしても過分の費用を要し、これを原告に要求するのは建物の賃貸借契約において賃貸人に課される義務の範囲を越えるものであったというべきである。
結局、本件建物は効用を全うし、その命数既に尽きたものというべきである。《証拠判断省略》
(三) 右にみた事実関係によれば、原告が本件建物を取壊すことは、建物の現況に照らしやむを得ないものというべきであり、その跡地に建物を新築することと相俟って、本件建物の存する地域、場所の実情に相応した敷地の有効な利用を図るものとして、その必要性を肯認することができ、解約申入の正当事由を構成するに足りるものということができる。
(四) 《証拠省略》によると、被告平田は本件建物において映画撮影用の照明器具の貸付の業務を営むものであり、右業務を営むための事務所ないし店舗としては、現在同被告が賃借している本件建物中一階のA部分三七・九平方メートルは、なお使用可能であることが認められるが、前記のように本件建物を全体的に観察した場合の本件建物の効用からすれば、右の事実は前記正当事由を阻却するに足りるものとはいえない。
そして、以上の事実関係の下では、金銭の支払をもって正当事由を補完する必要はないというべきである。
(五) 以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の前記解約申入は有効なものということができる。そうすると、被告平田の賃貸借契約は昭和五八年一月一四日限り終了したものというべきである。
6 請求原因二7、8は当事者間に争いがない。
7 したがって、原告は被告平田に対し本件建物中A、E部分の明渡し及び契約終了の日の翌日である昭和五八年一月一五日から右明渡し済みまで一か月一万五一五〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求めることができる。
三 被告久永関係
1 請求原因三1、2は当事者間に争いがない。
2 原告が被告久永に対し昭和四三年五月一一日到達の書面をもって賃貸借契約の解約の申入をしたことは当事者間に争いがない。
3 そこで右解約申入の正当事由について判断する。
(一) 請求原因三4(一)の事実が認められないことは、さきに被告平田との関係で判断したとおりである(二3(一)、(二))。
(二) 原告は被告久永が昭和四二年一一月までに本件建物中賃借部分の使用を廃止したと主張し、《証拠省略》によると、被告久永は、昭和三八年四月二二日(当時の商号・久永度量衡株式会社)店舗を東京都中央区小田原町二の七に移転し、本件建物中賃借部分は以後倉庫として使用するようになったこと、その後同被告は久永度量衡株式会社の名で、住所を東京都新宿区角筈三丁目一五三番地に移転する旨及び従来使用していた銀座倉庫も新事務所に移転した旨の通知を発したことが認められる。しかし、右新宿の事務所に移転した時期を具体的日時をもって確定するに足りる証拠はない。原告は、昭和四二年一一月以降同被告から賃料が支払われなくなったことからして、そのころまでには同被告は右賃借部分の使用をしなくなったとするもののようであるが、そのように断定するには根拠が十分とはいえない。
(三) 右のとおりであるから、右解約申入については効力を認めることができない。
4 原告が被告久永に対し昭和五七年七月一四日到達の書面をもって解約申し入れをしたことは、当事者間に争いがない。
5 そこで右解約申入の正当事由について判断する。
(一) 本件建物が朽廃の状態にありこれが解約申入の正当事由を構成することは先に判示したとおりである(二5(一)ないし(三))。
なお、被告久永が久永度量衡株式会社の名で住所移転とともに従来使用していた銀座倉庫も新事務所に移転した旨通知したことはさきに認定したとおりであり、具体的日時をもってその時期を確定することはできないが、久永度量衡株式会社が商号を株式会社久永と変更したのは昭和四七年一月三〇日であるから(前記のとおり当事者間に争いがない。)、遅くともその時までには同被告は賃借部分を日常的に使用することを止めたものと認めるのが相当である。もっとも、《証拠省略》によると、被告久永は、その後も本件建物の賃借部分に久永度量衡株式会社の看板を設置したままであり、施錠して商品を保管していることが認められる。このように、同被告が本件建物の賃借部分に施錠し商品を保管したままであり日常的に使用することがないことは、同被告が本件建物を使用する必要性が乏しいことを示すものということができ、このことも同被告に対する解約申入の正当事由を構成するもの(金銭の支払をもって補完する必要のないもの)ということができる。
(二) 以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の前記解約申入は有効なものということができる。そうすると、被告久永の賃貸借契約は昭和五八年一月一四日限り終了したものというべきである。
6 請求原因三7、8は当事者間に争いがない。
7 したがって、原告は被告久永に対し本件建物中B、E部分の明渡し及び契約終了の日の翌日である昭和五八年一月一五日から右明渡し済みまで一か月一万五一五〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求めることができる。
四 被告新日本学院及び被告保険銀行日報社関係
1 請求原因四1は当事者間に争いがない。
2 原告主張の無断譲渡転貸の有無について判断する。
《証拠省略》によると、訴外社会福祉法人新日本学園は昭和三六年五月二七日成立の登記をし、主たる事務所を川崎市木月伊勢町二二九五番地に置き、理事として島田きみ外三名が就任したこと、被告保険銀行日報社は昭和三七年三月二八日成立の登記をし、本件建物の所在地に本店を置き、島田金蔵外二名が代表取締役に就任したこと、被告新日本学院は、主たる事務所を川崎市木月伊勢町二三〇五番地に置き、被告保険銀行日報社の代表取締役島田金蔵の母島田きみらが理事に就任していたこと、その目的は少年保護事業であること、社会福祉法人新日本学園は第一種社会福祉事業として養護施設新日本学園を設置経営すること等を目的とし、川崎市にその施設を有すること、右社会福祉法人成立後は被告新日本学院は川崎市に有していた施設をそのまま右社会福祉法人に引き継いで少年保護に関する事業を行わなくなり、いわゆる休眠状態になっていること、被告保険銀行日報社は、保険、銀行その他の金融事業に関するいわゆる業界の専門紙を発行することを業とする会社であること、その前身に当たる事業は、同被告の代表取締役島田金蔵の父幹一が昭和五年に始め、戦時中一時中断したが、昭和二五年に再開し、本件建物において被告新日本学院の付帯事業として営業していたが、前記のように昭和三七年株式会社組織にしたものであること、右株式会社設立の際に同被告から原告に対し特段の通知はしなかったこと、本件建物には社会福祉法人新日本学園及び被告保険銀行日報社の看板が掲げられていること、しかし本件建物中被告新日本学院の賃借部分を現実に業務のために使用しているのは専ら被告保険銀行日報社であること、以上の事実が認められる。
右認定の事実によると、社会福祉法人新日本学園及び被告保険銀行日報社は、いずれも被告新日本学院とは法人格を異にし、それぞれ設立後本件建物に看板を設置して被告新日本学院の賃借部分を使用するに至ったものと認められるから、本件建物の賃借人である被告新日本学院から本件建物の転貸ないし賃借権の譲渡を受けてこれを使用収益することになったものとみるべきである。
被告新日本学院及び被告保険銀行日報社は、形式は転貸であるが実態は共同賃借であると主張するけれども、前認定によれば、社会福祉法人新日本学園は被告新日本学院と事業目的を異にしており、川崎市に存する施設を右社会福祉法人が引き継いだという事実はあるものの、被告新日本学院はその後事業を全く行っていないこと、また、被告保険銀行日報社は被告新日本学院と事業目的を異にし、被告保険銀行日報社の代表取締役島田金蔵の母島田きみが被告新日本学院の理事であったことがあるものの、現実に行う業務内容は全く異なっており、本件建物は専ら被告保険銀行日報社がその業務のために使用していること、本件建物には社会福祉法人新日本学園及び被告保険銀行日報社の看板は掲示されているが被告新日本学院の看板は掲示されていないことが明らかであり、このように建物の賃借人につき賃借建物において事業を行う等の使用、占有の実体がなくなり、事業目的を全く異にする会社が当該建物において事業を行ってこれを占有するに至った場合には、その実態が共同賃借というに当たらないことは明らかである。したがって、被告らの前示主張は理由がない。
3 抗弁について判断する。
(一) 被告らは転貸につき栄次郎の承諾を得たと主張する。そして、《証拠省略》には、被告保険銀行日報社の設立及び本件建物の使用につき原告の側の了解を得たかのような記載が存するが、原告本人尋問の結果に照らしにわかに措信し難い。ほかに右承諾の事実を認めるに足りる証拠はない。
(二) 被告らは黙示の承諾を主張し、被告保険銀行日報社代表者尋問の結果中には、右代表者島田金蔵が以前栄次郎方に家賃を届けた際、栄次郎の妻から日報の景気のことを尋ねられたことがある。また、栄次郎は本件建物の隣に住んでいたから被告保険銀行日報社の看板を見て同被告が本件建物で営業していることは知っていたと思う等の供述が存する。しかし、右の程度の事実をもって直ちに転貸ないし借地権譲渡についての黙示の承諾があったとすることはできない。
また、被告財団法人新日本学院と社会福祉法人新日本学園とでは名称が似ていて第三者からは判別が困難であること、前認定のように被告保険銀行日報社の前身は本件建物内において被告新日本学院の付帯事業として業界紙の発行をしていたものであるから、仮に会社設立時に直ちに看板を掲げたとしても、第三者からは新旧の事業の区別が困難であることを考慮すると、被告らの主張する解除の意思表示に至る年月の経過は、これをもって黙示の承諾を推認するには足らないものというべきである。
(三) したがって、被告らの抗弁は理由がない。
4 請求原因3は当事者間に争いがない。
そうすると、原告と被告新日本学院との間の本件建物の賃貸借契約は昭和四一年二月一九日限り解除されたものである。
5 被告保険銀行日報社代表者尋問の結果によると、請求原因8の事実を認めることができる。
6 請求原因9は当事者間に争いがない。
7 したがって、原告は、被告新日本学院に対し契約の終了を理由に、被告保険銀行日報社に対し所有権に基づき、本件建物中C、D、Eの部分の明渡し及び不法占有となった後である被告新日本学院については昭和五九年三月一七日、被告保険銀行日報社については昭和五九年三月一六日から、それぞれ明渡し済みまで一か月四万五六一〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求めることができる。
五 被告江口産業関係
1 請求原因五1は当事者間に争いがない。
《証拠省略》によると、栄次郎と訴外日本冷菓機械株式会社との間の賃貸借契約においては、賃借人は賃貸人の承諾なくして賃借室の転貸又は賃借権の譲渡及び売買その他の処分することができない旨及び賃借人が本契約に違反したときは賃借人は何らの催告並びに通知を要せずして本契約を解除することができる旨の約定が存することが認められる。したがって、右約定は右訴外会社から賃借権の譲渡を受けた被告江口産業にも効力を有するものである。
2 請求原因五2、3は当事者間に争いがない。
3 同4は、賃借権の無断譲渡転貸及び信頼関係破壊の点を除いて当事者間に争いがない。
4 前記争いのない請求原因五3のように被告江口産業が解散し代表取締役江口四郎が本件建物において個人で事業を営むようになったことからすれば、その間に賃借権の譲渡があったものとみるべきである。そして右譲渡につき賃貸人である原告の承諾があったことを認めるに足りる証拠はない。そうすると、右事実は前示約定に基づく解除事由に当たるというべきである。
5 被告江口産業は信頼関係破壊の点を争うが、賃借権の譲渡を受けた者が賃借人たる会社の代表取締役であるということの一事をもって、直ちに信頼関係を破壊するに足らない特段の事由があるということはできず、ほかに同被告はかかる特段の事由について何ら主張立証しない。そうすると、原告のした解除は有効なものというべきである。
6 請求原因7は当事者間に争いがない。
したがって、原告は被告江口産業に対し、契約の終了を理由に本件建物中D、E部分の明渡し及び契約終了の翌日である昭和四一年二月二〇日から明渡し済みまで一か月二万円の割合による賃料相当損害金の支払を求めることができる。
六 以上の次第で、原告の本訴請求は、被告平田及び被告久永に対しては前示の限度で理由があるから認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきであり、被告新日本学院、被告保険銀行日報社及び被告江口産業に対しては全部理由があるから認容すべきである。
よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 新村正人)
<以下省略>